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Author:北のくじら
北の札幌に住む不良中年のベトナム旅日記

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2006/11/01 (Wed) ハイ・バー・チュウン
10月29日のブログに”回転象”を載せたのですが、フランスに住むKikuさんから画像を送っていただきました。
サイゴンにもある通り名の”ハイバーチュンの物語を表しているようです。

・ハイ・バー・チュン
中国の支配に常に押さえられているベトナムでしたが、漢の時代にも税金を取られたり、人夫としてこき使われたりしていましたが、紀元40年にベトナムの豪族のティ・サックが漢の役人の首をはねる事件が発生した。
このティ・サックの妻がチュン・チャック(徴側)で、彼女は妹のチュン・ニ(徴弐)とともに国内の民に漢への反乱を呼びかけ、反乱軍を結成しつぎつぎと漢の役員が守る城を攻め落とし、その数65と言われる。
そうして現在のハノイの近くに都を構えた。チュンは自ら女王として迎えられた。しかし漢の皇帝は2万の軍をベトナムに差し向け、反乱軍も粘り強く抵抗したが43年ついに漢の前に破れ、チュンは川に身を投じ自ら命を絶った。以後ベトナムは漢の直接支配となった。結局チュンの女王は3年の短命ではあったが、ベトナム人の心
には英雄としての称えが続き、現在も命日の2月6日にはハノイで盛大な祭りを行っている。
各都市にはハイバーチュン通りとして名を残しており、切手の図案にもなっている。なお、ハイはベトナム語で2を表し、バーは婦人を表しており、ハイ・バー・チュンとは「チュン姉妹」の意味である。

転記「ベトナム雑記帳」http://www.tulip.sannet.ne.jp/t-takeoka/

trungsisters.jpg

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2006/08/18 (Fri) ベトナムの坂本竜馬
ベトナムの坂本竜馬と呼ばれている「ファン・ボイ・チャウ」は1867年北部ゲアン省に生まれ、抗仏レジスタンスの代表的なメンバーとして活躍し「芙蓉(日本)狂いのファン」と呼ばれていました。
サイゴンにもドンユー通り(東遊)の名前が残っていて、「東遊運動」のなごりではないでしょうか。
静岡県の浅羽町にファン・ボイ・チャウの石碑があるようなので時間を見つけて行ってみたいと考えています。

DSC00097.jpg


2006/08/16 (Wed) ベトナムのラスト・エンペラー
ベトナム中部、古都フエは、ベトナム王朝グェン(阮)の都で、最後の皇帝はバォ・ダイ(保大)帝ですが、グェン王朝の始祖グェン・フック・アインの直系で11代目クォン・デは、もう一人のラストエンペラーと呼ばれています。
彼は25歳の時に王妃二人の子供を故郷に残し、25歳の時に日本に密入国し以来一度も故郷の土を踏む事なく東京都杉並区荻窪の粗末な貸家で69歳の生涯をひっそり終えています。
「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」

20060816124511.jpg




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